有名YouTuberはなぜ食えなくなったのか?
著者情報:限界法学部大学生。22歳。カス。
最近、昔有名だったyoutuberが食えなくなってきているという話をよく耳にする。
僕も厨房の時、禁断ボーイズとかラファエルめっちゃ見てたから、「うわ〜まじかー」と大学生の今思う。
まぁ、実際口だけであって本当は安泰な人もいるかも知らないがyoutubeバブルなるものは静かに終焉を迎えようとしているらしい。
では、なぜ一部のyoutuberは淘汰され、食えなくなっていくのかをマックス・ヴェーバーと一緒に考えてみよう。
ヴェーバーは、「長期間、資本主義の倫理的原則に反して行動すれば必ず経済的淘汰を受けねばならないし、それでもなお適応しないならば必ず失業者として世に投げ出される」と記述している。
「???」な皆さんはとりあえず、労働とか市場原理を無視してズルして稼ぐといつか天罰が下るよねっていう認識でいいと思う。
このようなことをマネジメントの著者として有名なドラッカーも似たようなことを言っており、企業、個人の営利活動は「社会的責任」を持たなければいけないという主張を持っていた。
つまり、社会に対して責任を持たないで、自分の利益だけ考える者は必ず市場からさよならバイバイされるということだ。
今ちょうどESG投資とか、こういう原則に当てはまる風潮が来てるよね。環境とか社会全体に配慮してない企業には投資しませんよ的な。
ヴェーバーは続けて、およそ厚顔な態度に終始する実業家は役に立たず、‥‥どのような時代においてもそのような海賊的稼ぎ方が存在したことを記述している。
これはyoutuberに限らず、人に迷惑を掛けるインフルエンサーや配信者、人を騙くらかして稼ぐ情報商材屋なども同じと言える。全ての人が悪いわけではもちろんないよ。
もちろん、資本主義のウェブというのは複雑に絡み合っているものであり、必ずしも全ての海賊が淘汰される訳ではない。しかし原則を外れた営利活動はどこかで限界を迎える可能性が高いと言えるだろう。
だからYouTube以外に仕事を持ってなかった人たちは続々とニートになる。
またヴェーバーは、職業としての学問において、「学問自体には限界があり、スキルを磨いて日々の与えられた職業に勤しめ」
と大学生に説教しており、福沢諭吉は、学問のすゝめにおいて「学問が人の上に人を作るけど、とりま学ぶ時間がない農民や町民は実用的な学問、つまり簿記とかの実学を学んで働こうね」と言っており、
「単なる有能な人になるのではなく、そこには倫理的原則が無ければならない」
みたいなことを言ってる。
有能無能で人を分ける風潮結構あるよね。正直者がバカを見るとか。色んな視点から見たら有能な人も無能だったりするのにね。逆もしかり。
僕はsnsやってないしYouTubeも最近見てないからあんま分からんけど。
ドラッカーに至っては、
「自分自身を徹底管理して、自分が自分という会社を管理しろ」
あなたが今、起業するとして生活すべてYouTube一本で持たせるのは無理でしょ。
そゆことよ。
あと、「あなたが苦手なことをするのは周りの生産性を落とすから辞めろ」とまで言っている。怖いね。得意なスキルを身につけて働こうねっていう事を言ってる。
つまりこの人たちは、「楽して稼ぐなんて夢見んじゃねぇ、学んで行動に移せ」と言っているのだ。
まとめると、ここまでで俺が言いたいのは、「資本主義の原則は吝嗇的生活を良しとして労働してきたプロテスタンティズムの精神と密接に繋がっており、それは今の私たちにも言えるよね」
「それはヴェーバーだけの話ではなく、普遍的な市場原理であって世界各国で確からしいよね、僕らも夢見ないでスキルつけて働こう」
という事だ。
ちなみにアメリカ資本主義の父であるフランクリンもさっきのやつと同じような事を言っている。ここまで世界各国で同じこと言われると怖くなるよね。
俺自身が現在、法学部所属の学部生であり、社会学に関しては完全独学なので、知識を自在に操れる立場に無いのは許してほしいが、多分そこまで外れたことは言ってないと思う。でも多分うちのゼミの教授が見たらキレる。クドクドクド
なので鵜呑みにはして欲しくないが、ぜひ皆さんの思考材料になればと思う。
それでは。